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今回のインタビューでは、インペリアル・カレッジ・ロンドンのポスドク研究員や博士および修士課程の学生、客員研究員などで構成される実験的マイクロメカニクスグループ(Experimental Micromechanics Group)を率いるベン・ブリットン(Ben Britton)博士にお話を伺いました。博士は、新たな顕微鏡技術の開発や、原子力、航空宇宙、油、ガスなどによる極限環境下における金属の挙動に関する研究に取り組んでおり、公認技術士(Chartered Engineer)、公認科学者(Chartered Scientist)、Institute of Materials, Minerals and Mining(IOM3)の特別研究員としての顔も持っています。自身のTwitterアカウント(@bmatb)から、公平性や多様性、包摂性、学術研究の現状、材料科学・工学に関する問題について積極的に発信している博士は、自身の活動について次のように述べています。「私は研究者として、主に研究、教育、管理(業務)の3つの活動に時間を割いています。バランスを取りながらすべてに上手く対処するのは、難しいこともあります。人生のいくつかの側面はそれなりに順調と言えますが、正直なところ、プレッシャーで眠れない夜もあります」。
インタビューでは、博士の活動や、研究室での活動のあれこれ、主任研究員(Principal Investigator, PI)としての経験、研究者として向き合わなければならないプレッシャーなどについて、詳しく伺いました。また、学術研究および学術コミュニケーションに情熱を注ぐ研究者として、論文出版に関するアドバイスを頂いたほか、学術出版システムの長所と短所や、2019年のピアレビューウィークのテーマでもあった「査読の質」についての考えをシェアして頂きました。
博士の活動について、詳しくお聞かせ頂けますか?
私は、材料の変形の仕方や劣化する理由を理解して、それらの性能に基づいた新たなツールを開発しようとしている研究グループを率いています。計算的な手法や実験的な手法で、ナノからミリスケールの変形を把握していますが、これらの情報は、航空宇宙、油、ガス、原子力などの環境下で、各材料をどのように使うべきかを知るための知見となります。私はこの対象領域の広い研究を非常に楽しんでおり、蓄積した「ビッグデータ」が、金属構造の回折パターンや各構成要素の理解につながることを期待しています。
自分の研究グループを作ろうと思ったきっかけは何ですか?また、それはどのような経験でしたか?
そもそも、研究グループを率いるつもりはありませんでした(でも、今の役割には満足しています!)。学部卒業後はロースクールに進み、その後、スキーや休息のために1年間の休暇を取る予定でした。しかし、修士課程の指導教官だったアンガス・ウィルキンソン(Prof Angus Wilkinson)教授が、航空宇宙におけるチタニウムの使用に関する研究プロジェクトの助成金を獲得し、その研究で博士課程に進む気はないかと聞かれたのです。幸運にもそれが私の転機となり、以降、もたらされるチャンスにはすべて応えるようにしてきました。(その間には、目を覆いたくなるような失敗も数多く重ねてきましたが。)研究グループを起ち上げたのは、2012年にインペリアル・カレッジ・ロンドンに入ってからです。グループは現在、私と3名のポスドク、15名ほどの博士・修士課程学生で構成されています。研究を軌道に乗せ続けながら将来の方向性を定めていく作業は、決して楽ではありませんが、素晴らしい仲間たちとともに、楽しく研究を進めています。
研究室の環境は、若手研究者の間でよく話題になります。研究者に向けて、研究室で働くことについてのアドバイスをお願いします。
私は、個々のメンバーをどのようにサポートすればいいかということや、メンバー同士でサポートし合うようにするにはどうすればよいかということを考えるのに、多くの時間を割いています。行動規範として明確な基本ルールをいくつか設けており、新入メンバーにも、そのルールを初日から順守するよう求めています。多様なバックグラウンドを持つ人々に参加してほしいと考えており、1人1人に、自分はグループに必要な人材であると感じてもらいたいと思っています。それを可能にするのが、さまざまな社会活動やグループ活動を行うことや、研究室のさまざまな面における責任を共有することです。また、メールなどを通じて個別にやり取りをしたり、ソーシャルメディアで交流したり、Slack(業務効率の改善を目的としたチームコミュニケーションツール)を活用したりもしています。とはいえ、チームメンバーはそれぞれ異なるニーズを持った個人であることも認識しています(そしてこのニーズは、時とともに変化します)。毎年、年末に各メンバーと個別に面談をして、キャリア形成や研究室での生活など、研究以外の話をする機会を設け、研究室が全員にとってより良い場所となるようなフィードバックをもらうようにしています。すべての取り組みが上手くいくわけではありませんが、試行錯誤を重ねることで、少しずつでも前進していると考えています!
PIとして学んだことは何ですか?その経験を基に、ほかのPIにどのようなアドバイスを送りますか?
恐れ多いことに、周りの人たちは私の行動を尊重し模倣してくれているので、私は良いお手本にならなければなりません。これは、人々が安心して学べ、研究できる場を提供する立場の者として、きわめて重要なことです。私の生活の大半は、公に晒されています(@bmatbとしてツイートを行なっており、LGBTQや公平性、多様性、包摂性といったさまざまな問題について発言する人物として知られています)。私は、自分が社会的に恵まれた人間(白人、シスジェンダー、西欧出身、五体満足、男性)であり、比較的順調なキャリアパス(ストレートで学士→博士→ポスドク→教員という道)をたどってきたことを自覚していますし、得られた機会を最大限に活かしてきました。しかし多くの人は、(不可抗力も含めた)さまざまな理由により、それぞれ異なる道をたどります。私は、さまざまなニーズを持つ人々に適切に対応できるよう努めると同時に、自分の職務範囲でできるだけ広い領域で適切なバランスが取れるよう努めています。つまり、社会的マイノリティの立場にいる人々を積極的に支援・支持するために、多くの時間を割くよう努めているということです。個人的なことを言うと、自分の社会的立場が「若手」から「中堅」に移行していくにつれ、自分のキャリアを持続可能なものにはどうすればいいかに思いを巡らすようになっているのに気づいたのです。人は、人生における些末なことにいともたやすく没頭してしまので、この点は注意しなければなりません。
大学は、研究者をどのようにサポートすべきだと考えますか?また、研究者としての成長や人間としての成長に、どのように寄与すべきだと考えますか?
学術界は、私生活に対して容赦のない世界です。具体的には、求められる労働時間、次々と迫り来る締め切り、寄せては返すリジェクトや挫折の波、学会に次ぐ学会によるノマドのような生活、キャリアの段階を踏むたびに環境を変えるという文化のためです。私たちは、このような型にはまったプロセスを1つ1つ見直し、真に価値のあるものだけを見定めて、人間的なレベルでの負担を軽減していかなければなりません。学術界の中でも、とくに大学は管理上の負担が増している傾向があるので、「些末な仕事」(費用請求、過剰な軽量化や評価、膨大なメールのやり取り)を仕分ければ、研究者が自分の価値を見出しやすくなって生産性も上がり、さらに、多様な人々が研究者として生きていけるようになるでしょう。
エディテージ・インサイトの読者には、さまざまな立場にある研究者が多くいますが、皆、論文を出版すること、そしていち早く出版することに苦労しています。そういった人々へのアドバイスを頂けますか?
「出版の価値とは何か」について考えてみましょう。従来の評価基準は、ただの自己満足にもなり得るものです。ジャーナルの質は基本的に、編集の質や論文の拡散、読者を集めることを通じて、論文にどのような価値を付与できるかで決まります。オーバーレイジャーナル、プレプリント、オープンアクセス、プランS、その他の発信手段(ビデオジャーナルなど)などが登場している現状を踏まえると、出版環境が変化していることが分かります。私は今、教員という立場になり、「認められた」論文を一定数出版していますが、私がそれぞれの論文から得る「利益」は、ほかのチームメンバーが得る「利益」とは異なります。論文投稿先の判断や、出版物を最大限に活用するためのアプローチについてのアドバイスやサポートは行いますが、プロセスの進行は本人たちに任せています。現状の査読システムの欠陥を踏まえ、私は自分たちの出版物をより幅広く発信するために、プレプリントサーバーを利用しています。当然ながら、査読を行うときは記名しています。
学術出版の要素やプロセスの中で、最良のものは何ですか?また、至急の検討が必要な要素やプロセスは何でしょうか。
私たちは、「信頼」という名のシステムを作り上げ、良質なジャーナルで読者の関心を集めることによって、研究が生み出す知識の露出を高めるという方法を構築してきました。新興の「メガジャーナル」がこの領域に入ってくると、それが侵食されるリスクがあります。キュレーション機能やテーマごとのアラート機能の使用頻度が高まることによって、読まれる論文が偏ってしまう可能性があります。私は、学会議事録はすでに時代遅れであると考えています。国籍や経済状況に関係なく、より幅広いコミュニティが最新の研究にアクセスできるようなキュレーションとともに、プレプリントが普及することを願っています。
研究者人生の中でもっとも印象に残っている瞬間を教えてください。
ブレグジットの国民投票が行われた暴風雨の日、光栄なことに、ロンドン塔のたもとで開かれた表彰式に参加する機会を得ました。その場には、私のメンターで親友でもあるフィオン・ダン(Fionn Dunne)教授を招いていました。教授と私は、ボルティモアで開かれていた会議からその日の朝に帰国したばかりでしたが、刺激的で楽しい夜を過ごしたことを覚えています。15歳だった頃のことを振り返ってみると、自分が将来あのような場に立つことになるとは夢にも思っていませんでした。
2019年のピアレビューウィークのテーマである「査読の質」について、博士のご意見をお聞かせください。博士にとって、「査読の質」とはどのようなものですか?
査読は、蓄積される知見に価値を与えるためのシステムです。私は、査読コメントを受け取ると、査読者が我々の研究成果を恒久的な学術記録として残すことに賛同してくれたと感じて、嬉しくなります。査読者が指摘をしてくれたということは、その研究や自分たちがやろうとしていることを面白いと思ってもらえたということであり、それをより良いものにしたいと思ってもらえたという証なのです。
著者やジャーナル編集者は、査読を改善できると思いますか?また、どのように改善できると思いますか?
現在、多くの編集者は、自誌の意思決定や編集上の情報収集にあたって、査読者の行き当たりばったりの気まぐれに頼っている状況です。査読の匿名性という前提を飛び越えて、査読を個人的な報復に使っているケースが頻繁に見られます。私は、査読関連文書(査読コメントや著者の回答)が論文とともに出版されるケースがもっと増えることを願っています。これは、私のグループで行なっている輪講でも何度か話題になっており、そのような文書が公開されれば、研究についてより多くのことを学べるようになると話しています。ジャーナル論文が学術の集大成であると考えれば、このような文書を同時に公開することで、透明性を確保できます。また、ほかの研究者や学生たちに、プロセスがどのように機能しているかや、1つのアイデアが生まれてブラッシュアップされていく過程を示すことができるのです。
査読はどこに向かっていると思いますか?
現在、論文投稿数は増える一方で、査読者が1つ1つを適切に審査するのが難しい状況になっています。査読に要する時間や労力に見合ったインセンティブが発生しない場合はなおさらです。また、テクニックやアプローチの幅が広がり、学際研究が増えることで、状況はさらに悪化しています。加えて、オープンアクセスやプランSのプレッシャーも強まっている今、「研究をどのように評価し広めるか」という問題は、転換期にあると言えます。査読は常に「絶対的な存在」だったわけではありませんが、科学が紳士的な人々によってのみ行われていた時代もあったことは認めざるを得ません。学術界は現在、プレプリントに価値を見出し始めており、従来のジャーナルからオーバーレイジャーナルなどのキュレーション型への移行や、読者と共有するオープン査読への移行が見られます。中には、記名して査読を行う権限を持った人もいますが、多くの人はそのような権限を持たず匿名で査読を行うことになるので、それによって脆弱な個人がきわめてネガティブな影響を受ける可能性もあることを認識しなければなりません。したがって、この問題を前に進めるためには、不誠実な行動(査読による不当な処罰行為)を排除し、査読者が堂々と誠実に研究を評価できるようなシステムを構築する必要があるでしょう。
ブリットン博士、ありがとうございました!素晴らしいインタビューとなりました!