研究テーマの選択は、研究者個人のキャリアに直接的な影響を及ぼします。このため研究者は、先行きが不安定な革新的テーマと、ある程度将来を見通せる伝統的テーマとの間で、どちらを選ぶかの決断に揺れることになります。過剰な出版競争の弊害について考えます。
"科学者が選択する研究テーマは、科学者個人のキャリアに影響を及ぼす。
科学者たちの選択の組み合わせは、科学の発見全体の方向性と効率性に影響を及ぼす。"
- 「Tradition and Innovation in Scientists’ Research Strategies(科学者の研究戦略における伝統と革新)」
研究者人生の特徴は、激しい論文出版競争にあるといえます。研究者の昇進は出版履歴によって決まるため、研究者はインパクトファクターの高いジャーナルでの出版を目指して論文執筆に邁進します。出版を最優先することが当然とされ、科学への取り組み方に影響が出るほどになっています。たとえ自分の意に反することになっても、追加実験を行なったり、出版されやすい研究デザインを選ぶなどして、ジャーナル編集者の期待に沿うよう努力する研究者もいます。
しかし、「出版しなければ消え去るのみ」という学術界における風潮の余波はそれだけにとどまらず、科学の根幹にまで浸透しているようです。研究分野を選ぶときにどの程度のリスクを負えるかによって、出版への道のりが比較的容易なものになるか、困難に満ちたものになるかが決まってきます。したがって、リサーチクエスチョンを選ぶ際、ほとんどの研究者はジレンマに見舞われます。つまり、新奇性のあるアイデアは望ましい結果が出るかわからないためリスクが高くなり、一方、確立された分野で従来から定着しているアイデアを探求した場合、予想通りの結果は得られるものの、興味深い結果は得にくいというわけです。多くの研究者が選ぶのは、どのようなリサーチクエスチョンでしょうか。研究者の選択は、冒頭の文章のように、科学全体に影響を及ぼすのでしょうか?
American Sociological Review誌に掲載された論文「 Tradition and Innovation in Scientists’ Research Strategies(科学者の研究戦略における伝統と革新)」は、学術界の現在のありようを浮き彫りにし、科学の将来に影響をもたらすこれらの問いに答えようと試みています。筆頭著者のジェイコブ・フォスター (Jacob Foster)氏をはじめとする著者らは、1934~2008年のうちの30年間に出版された生物医学・化学分野の論文と特許を分析しました。そしてこれらの出版物を、(a) すでに確立されたテーマに基づいていて、結果の出しやすかった研究、(b) 研究があまり進んでいないテーマにおいて、新奇性をもたらした研究、という2つのカテゴリーに分類しました。著者らが、出版物の60%以上が伝統に基づいたものであると結論付けており、新奇性があると言えるものは「雲の合間から見える希望の光のように、辛うじて継ぎ目を埋めているもの」に過ぎないと述べている点は、注目に値します。
研究は、知識の隙間を埋める探求というより、出版という究極の目的を達成するための道具となってしまいました。
研究テーマの選択は、研究者個人のキャリアに直接的な影響を及ぼします。このため、研究者は、先行きが不安定な革新的テーマと、ある程度将来を見通せる伝統的テーマとの間で、どちらを選ぶかの決断に揺れることになります。新たな関連性を構築しなければならない研究は、無効な結果やネガティブな結果に終わって出版の日の目を見ない可能性もあり、リスクの高い道です。新奇性のある研究では、成功すれば被引用数の増加やノーベル賞などの科学賞などが期待できることが動機となります。しかし、キャリアの発展には十分な出版履歴が必要なため、多くの研究者は安全な道を選びます。この傾向は、科学にとって大きな損失となっていると言えるでしょう。学術界の文化が、研究者を論文出版・助成金申請・研究というサイクルに閉じ込め、個人的なキャリアの開拓だけを重視するよう仕向ける形になっているのです。しかし、革新がなければ科学の飛躍的発展は望めず、一歩ずつ前進するほかなくなります。
出版競争の中で、革新は時に抑圧されてしまうこともあります。研究は、知識の溝を埋める探求というより、出版という最終目的を実現するための道具となってしまいました。さらに、この競争の中で、他人を出し抜こうとする研究者たちは、研究不正や倫理規定違反に走るようになってしまったのです。
研究を、出版のプレッシャーという緊張から解き放つことは可能でしょうか? 大学や研究機関、出版社、資金助成機関は、学術界に過度の競争をもたらした責任を負わなければなりません。上記論文の著者らは、ジャーナルにネガティブな結果や追試(再現実験)を掲載することを奨励すべきだとしています。何がうまくいかなかったのかを知れば、その失敗をもとにして成功に近づくための研究が推進されるからです。また、研究機関や資金助成機関には、「将来性のあるプロジェクトではなく、個人に対して資金を提供すること」が望まれます。究極的には、研究者は「伝統」に縛られることを強いられるべきではありません。科学における主要な利害関係者らは、誰もが皆、革新的アイデアを探求して然るべきです。そうであればこそ、長期的には、科学は研究者とともに勝者となれるはずです。