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「ブラジル人研究者は絶望する必要などありません」

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「ブラジル人研究者は絶望する必要などありません」
クラウス・カペレ(Klaus Capelle)博士は、ブラジルABC連邦大学の学長です。独ヴュルツブルク大学で物理学の最優秀博士論文賞を受賞した後、米ニューメキシコ大学で修士号を取得しました。サンパウロ大学サンカルロス物理学研究所でポスドク研究を行なった後に教授になり、またサンカルロス化学研究所(IQSC)、米ミズーリ大学コロンビア校、英ブリストル大学、ルンド大学(スウェーデン)、独ベルリン自由大学で客員研究員を務めました。書き上げた論文は90本以上にのぼり、複数のジャーナルで編集委員を務めています。査読者として優れた仕事をしてきたことを評価され、2011年にはアメリカ化学会から感謝状を、2012年にはアメリカ物理学会から優秀論文審査員賞を授与されています。

ドイツ人物理学者でABC連邦大学(Federal University of ABC、UFABC)学長のクラウス・カペレ(Klaus Capelle)博士は、変わった道を選択しながらも、順調にキャリアを積み上げてきました。1997年にバイエルン州(ドイツ)のユリウス・マクシミリアン大学ヴュルツブルク(通称ヴュルツブルク大学)で物理学の最優秀博士論文賞を受賞した後、ニューメキシコ大学(米アルバカーキ)で修士号を取得、またサンカルロス化学研究所(Institute of Chemistry of São Carlos、IQSC)、ミズーリ大学コロンビア校(米国)、ブリストル大学(英国)、ルンド大学(スウェーデン)、ベルリン自由大学(ドイツ)で客員研究員を務めました。母国で順当にキャリアを築けるだけの学術的成功を収めていたにもかかわらず、1997年~1999年はブラジルのサンパウロ大学サンカルロス物理学研究所(São Carlos Institute of Physics、IFSC-USP)でポスドク研究を継続し、1999年~2003年はサンカルロス化学研究所(São Carlos Chemistry Institute at USP)でサンパウロ研究財団(FAPESP)から若手研究者のための助成金を受けました。2003年~2009年はIFSCで教授を務め、さらにABC連邦大学の教授と研究担当副学長(research provost)を経て学長となり、現在に至ります。書き上げた論文は90本以上にのぼり、複数のジャーナルで編集委員を務めています。また、査読者として優れた仕事をしてきたことを評価され、2011年にはアメリカ化学会から感謝状を、2012年にはアメリカ物理学会から優秀論文審査員賞を授与されています。


ABC連邦大学は、中南米における先駆的な研究大学としてその地位を確立しつつあります。ブラジルで唯一、全教授が博士号を保持し、発表された科学論文のインパクトファクターが世界平均以上である学術機関でもあります。学長であるカペレ博士は、この記録を維持し、研究教育の世界的リーダーとなるために様々な方針を実行しています。ワクワクするインタビューになりそうです!カペレ博士には、ABC連邦大学についてのお話の他、先駆的な仕事を行うにあたって尽力した経験、そして自身の珍しいキャリア選択について伺いました。


インタビュー第2回目の今回は、ブラジルの教育システムや著者たちが直面している問題、グローバルな論文出版環境におけるブラジルの立場についてお話を伺いました。ブラジルの研究者は多様性の概念を受け入れ、より安定した国際的な高等教育・研究システムを目指す必要があります。しかし、このような課題がある中でも、ブラジルの研究成果は国際的に大いに注目を集めています。カペレ博士は、ブラジル人研究者は、現在国が抱えている政治的・財政的困難を悲観する必要はないと考えています。


大学の運営とそのメリットという点から見て、ブラジルの高等教育が抱えている課題は何だとお考えでしょうか?

1つ目の課題は多様性の奨励です。UFABCのモデルをブラジルのすべての大学に勧めるつもりはありません。手法や規模、基本的理念が異なる様々な高等教育機関がなければ、健全な生態系は形成されないからです。規模が大きく、大勢の生徒に高等教育を提供できる大学も必要ですが、特別な使命(例えば、最先端の研究、革新性、学際性、恵まれない地域への高等教育の拡張、国際化)を掲げた小規模大学も必要です。すべてのことに同じようにうまく取り組める大学はないでしょう。多様性という概念は、ブラジルの学術コミュニティの構成員たちに支持されているとは言えず、現在のブラジルの教育システムで十分に奨励されているとはいえません。

第2の課題は運営管理です。ブラジルの国立大学は他の政府機関(地方、州、連邦)と同様、公共サービスの法規制を遵守しなければなりません。そのため、教育システムは職員や教員向けの古めかしい雇用プロセス、低い給与、厳しい労働規制に縛られています。このため、大学の職員は頻繁にストライキを起こすと同時に、無数の監視当局によって、麻痺状態に陥ってしまうような、形式的で重箱の隅をつつくような査定が行なわれています。これらすべてが合わさって、迅速さや効率、革新を損なう環境が形成されているのです。

私は、多様性と運営管理という2つの課題はつながっていると考えています。変化する環境と需要に合わせた進化・専門化・適合化(これらはすべて多様性につながります)を促すために、大学や運営管理者は、恐れることなく自由に挑戦し、その大学ならではの使命を遂行し、革新を担っていくために独自の方法を確立する必要があるでしょう。

最近、ブラジルの研究は世界的な注目を集めています。現在のグローバルな研究・出版環境の中で、ブラジルはどのような位置にあるとお考えですか?

先ほどの質問でお答えした通り、課題や問題はありますが、ブラジルの高等教育や研究は過去数十年間で格段の進歩を遂げました。国際的に競争力のある分野も数多くあります。数で言うと、科学技術開発審議会(CNPq)の最新データによれば、ブラジル人研究者が発表した論文はほとんどが医学、生物学、農学分野のもので、それに続くのが物理学、化学、工学となっています。

Scimagoの2014年のランキングによると、ブラジルは国別の科学論文数の合計で13位、総引用数で18位でした。これは南米での最高位で、ヨーロッパやアジアの多くの国々よりも上位です。

カペレ博士は、過去のインタビューで、興味深いことを述べておられます。「教授として、1人の学生のために1つの奨学金を獲得することができました。学部長として、100人の学生の奨学金を獲得することができました。学長としては、学生たちにより大きな利益をもたらすことができるでしょう。いずれも、やりがいがあります」。この発言について、もう少し詳しく教えて頂けますか?

教授という立場であれば、自分と一緒に研究を行う学生たちのための資金を得る場合、その研究について理解していますし、奨学金を得たことを伝えれば、学生が喜ぶ顔を見ることができます。私が研究担当副学長だった時には、多くの奨学金を獲得して配布する責任がありました。利益の規模は大きくなりましたが、学生個人のことはよく知りませんし、自分の専門とはかけ離れた分野の研究プロジェクトの申請書のタイトルには、理解できないものもありました。今は学長として大学全体の予算を扱っており、各プロジェクトのタイトルや学生1人1人の名前などまったく分からないようになりました。でも、これらの資金が何千人という学生、そして何百人という教員のためになることは分かります。利益の規模が大きくなるにつれ、満足感は抽象的なものになり、利益を受ける人々からは遠ざかることになります。この仕事をするためには、そういうことに慣れる必要があるでしょう。

現在の財政危機と、それによって研究資金や科学論文数に影響が出ているブラジル人研究者に、アドバイスはありますか?

財政危機に見舞われることがあっても、やがて困難は去っていきます。現在の危機は政治的危機と並行して展開しているために事態がより深刻で、互いに足を引っ張り合う状態にあるといえます。しかし、キャリアは何十年も続くものですし、大学は何百年、あるいはそれ以上の年月にわたって存在するものです。困難が数年続いたとしても、絶望する必要はまったくありません。

では、博士ご自身について少し教えてください。ドイツで物理学者としてキャリアをスタートさせましたが、熱帯の国で研究を続けることになりました。また、キャリアパスを変更して、大学の運営に携わるようになりました。どのようなきっかけでこのように変化したのでしょうか。また、なぜブラジルを選んだのですか?どのような可能性があると考えたのでしょうか?異なる文化に適応することに苦労はありましたか?そして、ブラジルの研究者が直面する苦悩を、どれぐらい理解できるようになったとお考えですか?

これまでのキャリアにおいて、大きな変化は2度ありました。最初は、理論物理学で博士号を取得した後、ブラジルで研究プロジェクトを始めるためにドイツを離れた時です。2度目は、サンパウロ大学(USP:ブラジルでもっとも有名な研究大学)の教授職を辞し、当時開校したばかりのUFABCの整備を手伝うことにした時です。どちらの場合も、名声と伝統のある安定した環境を後にして、多くのチャンスに満ちた、発展途上のダイナミックな環境に移ったのです。

大きな意味で、私は同じ決心を2度したといえます。そのような決断によって新たな可能性が開けることもありますが、それだけの対価は支払わなければならず、一般的なキャリアパスのほうが楽な選択だったのでは、と自問することもあります。でも、一般的なキャリアパスにも特有の困難がありますし、型通りでないキャリアパスほどのやりがいや刺激は得られなかっただろうと思います!私が好きな詩は、ロバート・フロストの“The road not taken”(「選ばれざる道」)です。これは、人生を象徴する2手に分かれた道を旅人が選ぶことについて書かれた詩で、「私は選ぶ人が少ない方の道を選び、それによってまったく違う人生になったのだ」という言葉で締めくくられています。私の人生は、まさに「まったく違う人生」になったと言えるでしょう。

私がブラジル研究者の直面する課題を理解しているかどうか、という質問ですが、実は私もその中の1人なので、ブラジル人の困難は私自身の困難です。でも、ブラジル人作曲者のトム・ジョビン(アントニオ・カルロス・ジョビン)が言ったように、「ブラジルは初心者向けの国ではない」(ブラジルの奥深さはすぐには分からない)のです。もう20年近くこの国に住んでいますが、いまだに新参者のように感じることがありますね。


カペレ博士、お話を聞かせてくださり、ありがとうございました。

カペレ博士へのインタビュー第1回目はこちらです。


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