ノーベル賞受賞者と話せる機会は、そうそうあるものではありません。ですから、話ができるとしたら、それは特別な機会ということになります!ティム・ハント(Tim Hunt)博士と知り合い、このインタビューのために連絡を取り始めたとき、私はやや緊張しており、硬い調子でかしこまってやり取りをしていました。でも、ハント博士はすぐに楽しいエピソードやユーモアに満ちた発言、そして友達同士のような冗談を言って、私の気持ちをほぐしてくれました。インタビューでは、ノーベル賞の受賞を通じた経験に関する貴重な話や、野心あふれる研究者へのアドバイスを聞くことができました。このインタビュー・シリーズをまとめるのは、楽しい作業でした。読者の皆さんにも、同じように楽しんで読んで頂けたら幸いです。
まずはノーベル賞受賞時の経験についてお聞かせください。ノーベル賞は厳重に秘密が守られており、候補者にさえも受賞候補となっていることが知らされません。受賞の知らせはいつ、どのように受け取ったのでしょうか。ご自身の最初の反応はいかがでしたか?
実は、大変驚きました!あれは雨の月曜日の、朝10時頃でした。私は、ポスドク研究員の最新の実験結果を吟味していました。彼がコーヒーを取りに行ってちょうど席を外したときに電話が鳴ったので、出てみると、相手はスウェーデン訛りの英語で「ノーベル委員会事務局長のハンス・ヨンヴァール(Hans Jörnvall)と申します」と言いました。その後に彼が何と言ったのかはっきりとは覚えていませんが、たしか「良いニュースをお伝えします。あなたのノーベル賞受賞が決まりました」と言ったのではないかと思います。私が「まさか」と言うと、彼は「本当です。リー・ハートウェル 氏とポール・ナース氏との共同受賞です。」と言いました。彼らの受賞については驚きませんでした。両氏の研究は、間違いなく受賞に値するものでしたから。
でも、自分は期待を抱いていませんでしたし、とても信じられませんでした。すると電話の相手は「ところで、このことはこれから20分間、誰にも言わないでください。それまで報道規制がかかっていますので」と言います。このとき、10時10分ぐらいでした。相手は続けて「ああ、それから、リー・ハートウェル氏の自宅の電話番号を知っていますか?どこを探しても分からないのです」と聞いてきました。私は、「存じ上げませんが、National Academy Directoryに載っているのではないでしょうか」と答えました。結局、どうやって彼の電話番号を見つけたのかは分かりません。
受話器を置いた後、ポスドク研究員がコーヒーを持って戻ってきました。私は動揺していましたが、彼に何か言うわけにはいきませんでした。20分後の10時半まで、まだ間がありましたから!当時の上司だったナース氏に電話をしようと思いましたが、彼は会議中だったので秘書と話しました。彼女がこれから起ころうとしていることについて何も感づいていないことは明らかでした。折り返し電話をくれるようメッセージを残すと、10時半頃ポールが電話をしてきました。「これって本当なんですかね?」と聞くと、ポールは「ティム、本当なんじゃないかと思うよ。会議中に、同じようなメッセージが私の留守電にも入っていたんが、ほうっておいた。インターネットで検索してみてくれるか?」と言います。「ノーベル」でグーグル検索して自分たちの名前を探してみると、その時にはもう「ハートウェル、ハント、ナース」と出ていたのです。
その知らせに対する実感がじわじわと湧いてくると、なんだか居心地が悪くなってきます。なぜって、他の人たちが「お前には本当はそんな価値はない」と思っているんじゃないかと心配だからです。それが、私の感じていたことです。面白いことに、発表後数週間経ってからポールに会うと、こう言っていました。「ティム、全くさんざんな週末だったよ。自分はノーベル賞にふさわしくないんじゃないかと思ってしまって」と。つまり、そう思うのは私一人ではなかったということです。ノーベル賞を受賞すると、何度も内省の旅に出ることになり、結局「なぜ私が?」という思いに行き着きます。これまでのキャリアを顧みるのです。歴代受賞者の自伝を読んでみれば、このような反応はよくあるものだということが分かりますよ。
授賞式での経験をお話し頂けますか?
授賞式にもちょっとびっくりしますね!すべてが終わるまでに1週間かかるんですが、パーティや会合、インタビュー、イベントなど盛りだくさんです。授賞式の間中ずっと、ガイドとして助けてくれる付き人が割り当てられます。私の付き人は若いスウェーデン人女性で、スウェーデンの外務省で最も若い職員の1人でした。
(写真註)ノーベル賞授賞式にて、ハント博士とその家族、付き人と
付き人は常に、私に必要なことすべてが詳しく書かれている、厚さ15cmぐらいのぶ厚い書類の束を持っていました。一週間ずっと、受賞者は王族のように扱われ、信じられないようなすばらしい体験をします。それから、授賞式に備えて練習をする時間もありました。どうやって王様と片方の手で握手をし、もう片方の手で賞状を受け取るのかを教えてもらうのです。実際の授賞式は、トランペットのファンファーレなど、何から何まで華やかでした!
ちょっと面白い話があります。ストックホルム行きの飛行機を待っているとき、ヒースロー空港でラウンジが使えるか聞きに行きました。カウンターにいた女性は私の航空券を見て、「申し訳ありませんが、ラウンジは満員です」と言います。私は「朝の9時になんでラウンジが満員なんだ!」と言いました。それでも彼女が態度を変えないので、私は背筋を目一杯伸ばし、私の航空券はノーベル基金が出しているのだが、と告げました。効果があったのか、彼女は電話をかけました。たぶん、私の言っていることを確かめたのでしょう。すると突如としてラウンジは満員ではなくなり、彼女はとても親切になりました。ストックホルムに到着すると、受賞の電話をくれたヨンヴァール氏と、私の付き人となる女性が待っていて、VIP待遇を受けました。面白いのは、ヒースロー空港に戻った途端、王族扱いは終わりになったことです!長時間用駐車場に行くのにもバスを待たなければなりませんでした。
今だから告白しますが、私は、実際にメダルそのものを受け取って手に取るまで、ノーベル委員会が不幸なる間違いをしたと気がついて、王様が「申し訳ありませんが、この賞は実はあなたではなく、別のティム・ハント氏に授与されるものでした」などと言い出すのではないかと思っていました。共同受賞した二人が、私よりずっと経験を積んだ超一流の同僚だったことは幸運でした。二人が感謝の意を表明している間、後ろに引っ込んでいることもできました。ほかに良かったことは、その年はちょうどノーベル賞の100周年記念で、存命の受賞者たちが皆授賞式に招待されていたことです。このことで、我々への注目度が少し弱まり、緊張を和らげることになったと思います。それでもノーベル賞の受賞は一大事で、やはりふさわしくないのではと感じ、まったく受賞者らしく振る舞えませんでした。時間がたつにつれて、慣れてきました。周りの人がとても丁寧に接してくれるからです。
受賞したことで、人生が変わりましたか?家族と一緒に過ごす時間には影響がありましたか?
面白い質問ですね。最初のうちは、出席しなければならないパーティがたくさんあり、いろいろな場所への招待もたくさん受けました。多くの人が喜びを分かち合おうとしてくれ、それはとてもありがたいものでした。そうやって、少しずつ、受賞者としての人生を歩み始めるのです。ブリティッシュ・エアウェイズからゴールドカードが送られてきたときにはちょっとびっくりしました。ビジネスクラスでたくさん飛行機に乗って、マイレージがたまっていたのですね。ある日から突然、飛行機の後ろではなく前の座席に座るようになり、良いホテルの広い部屋に泊まるようになったのです。人から注目を浴び続け、サインを求められたり、一緒に写真を撮るよう頼まれたりします。最初は参りますが、やがて慣れるものです。
受賞後の生活はかなり多忙になりました。幸運にも、家族と充実した時間を過ごすことも何度かできました。たとえば、日本人の友人のお蔭で、日本でフェローシップを受けることができたので、家族全員で日本での会合に参加することができました。あの日本への旅は思い出深いものです。その後、講演に招かれて、家族全員でスペインのビルバオに行きました。今ではそんなことはあまりないですね。私は引退していますが、妻は働いていて、二人の娘も学生なので、家族で旅行する機会はあまりありません。この点は残念で、物足りなさを感じますね。
インタビューの続きをお楽しみに!