(Frontiersに掲載されたインフォグラフィックを、許可を得てここに再掲載しています。)
査読は出版プロセスに欠かせない品質管理手法ですが、私たちが知っている現在の査読は、約2世紀前に想定されていたものとは大きく異なっているようです。
査読の歴史年表
1665年
ロンドン王立協会が、世界初の科学誌「Philosophical Transactions」を創刊。この時点では査読は存在せず、編集者が掲載論文を決定
1669年
フランス科学アカデミー選出の専門家が、王に捧げる発明や発見の査定報告書を執筆
1731年
エジンバラ王立学院が任命したメンバーが、一般向けに出版する書物を吟味
1831年
ロンドン王立協会のウィリアム・ヒューウェル(William Whewell)が、新たに創刊されるジャーナル、Proceedings of the Royal Societyに掲載予定の論文の報告書を委託することを提案。新規性と科学的厳密性のどちらに着目して評価を行うべきか、という問いは当時も重要視されていた
1833年
この時点で、査読者は報告書を匿名で書くようになっていた(シングルブラインド・ピアレビュー)。査読者は、学会の評判を守る「守護者」だった
1894年
生理学者のマイケル・フォスターが言うところの、「純粋な科学が流れる川に、下水が垂れ流されている」状況を改善するため、学会は系統的な査読システムの導入を検討
1990年代半ば
英語圏の国々では、査読が一般的なものに。バイアスを排除するため、ダブルブラインド・ピアレビューが登場
1991年
プレプリントリポジトリのarXivが誕生。査読なしの論文がオンライン上に公開され始める
2000年
BioMed Central(BMC)が発足:査読において、インパクトを検討要素としない
2007年
Frontiersが発足:「共同(collaborative)」ピアレビューの実施、出版後に査読者の氏名を公表
BMJ Openが発足:査読者の氏名と査読報告書を論文とともに公開
2012年
Rubriqが発足:著者がジャーナルへの投稿前に査読を依頼できる、外部査読サービス
Publonsが発足:査読者や編集者の活動を功績として認める
2013年
F1000が発足:出版後査読システムを導入
現在
バイアスを排除する動きが継続。査読プロセスの透明性とスピードが向上
未来
査読がどのように進化していくかは誰にも分かりません。トリプルブラインド・ピアレビュー(著者、編集者、査読者の全員が匿名)によってバイアスは排除されるのか?査読者の立場はどのように変わるのか?FrontiersのYoung Mindsでは、子供が査読を行なっている可能性も?さらなる技術の進化や新たなアイデアの登場により、当初の姿からは想像もつかない形に変化しているかもしれません。
技術年表(図表左端)
1440年
グーテンベルクの活版印刷:印刷と民衆への配布が容易になる
1890年代
タイプライター:カーボン紙での5枚複写が可能になり、論文を委員会内で回覧できるようになる
1959年
ゼロックスコピー機:論文の複写がより簡単に
1990年代
インターネット:出版と査読の革命が始まる
※PDF版はこちらからダウンロードできます:査読の歴史年表
参考文献
Csiszar, A. (2016) Peer review: Troubled from the start. Nature 532:306-8 doi:10.1038/532306a
Spier, R. (2002) The history of the peer-review process. Trends in Biotechnology 20(8):357-8 doi: 10.1016/S0167-7799(02)01985-6