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変わりゆく学術界におけるインパクトファクターの”インパクト”

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変わりゆく学術界におけるインパクトファクターの”インパクト”

ここ数年来、学術出版界では代替指標に関する活発な議論が繰り広げられてきました。研究のインパクトを、人々の生活との関連度やその改善度、ソーシャルメディアでとりあげられた回数、あるいは非専門家の間の認知度で測るというアイデアもありました。様々な議論を経た今、インパクトファクターを取り巻く学術界の現状を考察します。

私が初めて書いた学術関係のブログ記事は、インパクトファクターに関するものでした。それは2012年6月の、最新のJournal Citation Reportsが発表されて間もない頃で、インパクトファクターは時流に乗った話題でした。当時はまだ、インパクトファクターについてよく知りませんでしたが、調査を積み重ねていく中で、様々な見方があることに気づきました。その中には、インパクトファクターをボイコットする必要性といった過激な意見も多くありましたが、指標としてのインパクトファクターを丸ごと退けてしまうことはためらわれました。というのも、かなり多くの研究者がインパクトファクターを崇め奉っているように思えたからです。そこで私は、慎重すぎるほど慎重になり、インパクトファクターの功罪を扱った中立的な記事を書きました。インパクトファクターは素晴らしいものであるが、注意深く利用しなければならない、と。

その4年後、またインパクトファクターに関する記事を書くことになって、状況の変わりように驚いています。表面的なことについては語るまでもないでしょう。トムソン・ロイターから2016 Journal Citation Reportsが公開されると、学術出版界は毎度の狂乱状態になり、ソーシャルメディアでは、「#インパクトファクター」がたちまち話題のトピックになりました。最新のランキングを喜ぶジャーナル各誌は論説を出し、新しいインパクトファクターをツイートしました。論文投稿を控える著者たちは、新しいインパクトファクターを参考にしてターゲット・ジャーナルの見直しにかかっています。エディテージ・インサイトなどの学術関連記事サイトでは、インパクトファクターに関する一連の記事で特集が組まれ、インパクトファクターのメリットとデメリットいかに過大評価され誤用されているか研究の質を測る新たな指標をどのように扱うべきか等々について繰り返し語られています。

2012年以降、学術出版界で代替指標に関する有意義な議論が活発に行われてきたことは確かです。一般の人々にとっての科学が話題となることもありました。また、研究のインパクトを、人々の生活に寄り添いつつ改善した度合いや、ソーシャルメディアでとりあげられた回数、あるいは非専門家の間での認知度で測るというアイデアについても議論が行われました。しかし、現状はどうでしょうか。先日中国を訪れた際、何人かの著者に、論文の投稿先を選ぶときにどういった点を考慮するかを尋ねる機会がありました。彼らにとってインパクトファクターがいまだにもっとも重要な要素であることを知っても、驚きませんでした。無理もありません。昇進、テニュア、研究補助金の支出について検討するとき、学術界と資金提供機関は依然としてインパクトファクターに大きく依存しているのですから。

デジタル化は学術出版に変革をもたらし、インターネットは人々が情報にアクセスし吸収する方法を変えました。こうした状況を説明する、こんな例え話はいかがでしょうか。私は母の影響で、料理が大好きで得意です。母親はレシピブックをとても大切にしていました。それを引っ張り出してきては埃をはらい、たくさんのレシピの中から何年も前に使った目当てのレシピを探すのです。一方の私は、冊子になった「レシピブック」というものを持ったことがありません。たいていは、作りたいものが浮かぶとオンラインで調べ、同じ料理のいくつかのレシピから材料や方法を少しずつチョイスして組み合わせるのです。つまり私は、自分のブラウザに保存したブログ記事のコレクションという、1冊の大型レシピブックを持っているということです。

こう考えてみてください。著者は、論文を投稿するジャーナルを選ぶときに、今でもインパクトファクターを重視しています。しかし、引用を行う側は、その論文がどのジャーナルに掲載されたものであるかを気にするでしょうか?イントロダクション(序論)とディスカッション(考察)のセクションを執筆するとき、研究者はキーワード検索で関連論文を探し、ヒットした論文を引用します。そのように見つけた論文が、一定の基準よりも低いインパクトファクターのジャーナルに掲載されていたというだけの理由で、引用をやめるでしょうか?インパクトファクターは、個々の論文がどれほど広く引用されたかという観点で算出されたものです。それなのに、ジャーナル全体の質を表すものとされてしまっている状況は、なんとも皮肉ではないでしょうか。

さて、次のような状況でも、「ジャーナルのインパクトファクターは重要だ」と言えるでしょうか?
掲載された多くの論文が再現不可能であるとみなされている場合。
多くの論文が撤回されている場合。
発表された研究の重要性を、メディアが誤って報じ、不正確に誇張している場合
・多くの著者が、ジャーナルのリジェクト判定が不透明であるとして不満を抱いている場合。

料理の例え話に戻りましょう。オンラインで調べたどのレシピについても、コメント欄を読むことはとても大事です。コメント欄では、読者がレシピを評価し、実際に作ってみた経験をシェアし、ときには材料の配分を変えることが提案されていたりもします。あらゆる分野のビジネスにおいて、品質と成功を測る基本的指標は、顧客の感想や評価です。この考え方を学術界に当てはめてみると、(読者が費用を支払う)従来の購読モデルであれ、(著者が費用を支払う)オープンアクセスモデルであれ、ジャーナルにとっての顧客は研究者です。であるなら、顧客の意見が取り入れられ、その意見がジャーナルの評価に反映されてこそフェアと言えるのではないでしょうか?

では、ジャーナルの質はどのように測定すべきなのでしょうか。私が理想とするのは、要求事項を明確に説明したか、投稿論文を適切に扱ったか、著者の問い合わせに迅速に回答したかという観点からジャーナルをレビューし評価するフォーラムのような場が著者に与えられることです。ジャーナルを評価する権限を持つ機関にとって必要なことがあるとすれば、ジャーナルの論文審査や査読プロセスの綿密さといった様々な要素がある中で、これらの点が、評価を決定づける基準になるのではないでしょうか。

研究論文そのものについては、引用指標代替指標は優れたツールだと思いますが、いずれもそれ単独で完結するものではありません。あらゆる種類の研究論文―確固とした方法で行われたものであれ、疑問の余地のある方法で行われたものであれ―は、引用されソーシャルメディアで言及される機会を等しく持っていますが、これらの指標を、それぞれにふさわしい文脈で吟味するのは大変難しいことです。反対に、もしもこれらの指標が単独でしか使われないとすれば、研究論文の「インパクト」は、出版社や著者の所属機関が出版論文の宣伝にかけられる予算によって決まってしまうか、少なくとも影響を受けることになるでしょう。

単なる数値基準ではなく、研究者同士が出版論文をレビューして評価し、研究がうまく再現されたかどうかについてコメントし、手順の改良を提案できるような場があればと思います。掲載したそれぞれの論文に対してユーザーから良いレビューと評価を得たジャーナルは、そのまま自動的に、高評価で高インパクトのジャーナルと認められるでしょう。

私が2012年に初めてインパクトファクターについて書いてから、多くのことが変わりました。もちろん、インパクトファクターに関する私自身の考え方や主張の根拠も変わりました。私が抱いているそのような感覚は、学術界の至るところで漂っているようです。実際昨年には、英国高等教育財政審議会(HEFCE)から、「研究の評価と管理における指標の役割に対する独立審査」を通し、学術コミュニティは研究の評価手法を見直すべきであるとする複数の優れた提案が出されています。

しかし、変化のスピードに追いつけず、元も子もない状況にしているものがあります。それは、資金提供機関による、研究者の評価手段としてのインパクトファクターの使い方。ジャーナル選びの決め手をインパクトファクターに求めなければならないと考える研究者の感覚。そして研究者にとって、ジャーナルに対応する以上に切実な要素がほとんどないという事実です。研究と研究者の質の評価において、今こそ、学術出版界を席巻するあらゆる変化に歩調を合わせるときではないでしょうか。


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