テイラー・アンド・フランシス社のインドおよび南アジア支部のマネージング・ディレクターであるニターシャ・デヴァサール(Nitasha Devasar)氏は、アジアのダイナミックな学術出版市場への造詣が深く、学術出版に関する豊富な経験を持っています。現在は、インドおよび南アジア発のグローバル市場向けビジネス開発とコンテンツ獲得を中心に活動しています。また、インド初の出版関連の全日制課程の創設にも関わりました。テイラー・アンド・フランシスに入社する前は、オックスフォード大学出版局インド支部の学術書部門で12年間ディレクターを務めました。この間、2000冊以上の学術書を出版し、南アジアの学術界の発展に大きく貢献しました。
そのほか、「Association of Publishers in India」副会長、「FICCI Publishing Committee」委員、「アジア女性リーダーフォーラム」アドバイザーも兼任しています。また、テイラー・アンド・フランシスグループの「Women in Leadership Program」にも参加しており、2017年にはチャンネル・ニュース・アジアの「Women of Substance in Asia」に出演しました。
2012年には「PublishInc.」という出版コンサルタント会社を設立し、学術コミュニティや研究機関、大学、政府機関が効果的な研究アウトリーチ活動を行うための支援をしています。デヴァサール氏は、ジャワハルラール・ネルー大学(インド、ニューデリー)でMAおよびMPhil(応用経済学)を取得しています。
最近出版された「Publishers on Publishing: Inside India's Book Business」は、デヴァサール氏が編集を手がけた書籍です。The Hindu誌にも頻繁に寄稿しており、マネジメントやリーダーシップに関する多様な問題をテーマにしたブログ記事は、さまざまな定期刊行物に掲載されています。インドの経営系の学校や大学で、変わりゆく出版業界をテーマとした講演を行うこともあります。
本インタビューでは、世界の学術出版界についての見解を伺い、出版業における困難や出版社の役割、著者と出版社の関係などについての考えをシェアして頂きました。また、インドの研究者が世界の出版界で露出を増やす方法についてもお聞きしました。
出版界に入ったのは偶然ながら、その出会いは「一目惚れ」であったと語っておられます。その興味深い出会いについて詳しくお話し頂けますか?
若手研究者だった頃、教育者になる気がなかった私は、研究の世界が浮き世離れして孤立した世界であることを知りました。どの道に進むべきか迷っていたとき、社会科学系の出版社の近くで開催されていた会議に出席する機会がありました。その出版社に立ち寄ってフリーランスの仕事がないか尋ねると、編集のテストを受けるよう言われました。そこからの1時間、私は夢中で課題に取り組みました。そして、楽しみつつ学術界に貢献できる仕事が見つかったと感じたのです。それから20年経った今も、学術コンテンツに創造性と商業的感覚を持って向き合うという作業に没頭し続け、学び続けられているので、あの時の直感は正しかったのだと確信しています。
インド初の出版に関する全日制教育課程の創設にも関わっておられます。これについて詳しく教えてください。
私は未経験で出版業界に飛び込んだので、働きながら出版について学びました。学びは現在も続いています。出版界には私のような経歴を持つ人も多いですが、編集やマーケティングの短期課程を経て就職する人もいます。数年前、デリーにある比較的新しい大学から、出版に関する全日制総合教育課程の起ち上げに協力してほしいという依頼を受けました。起ち上げる側の立場からこの取り組みに参加できるのは、とても貴重な機会だと感じました。何より重要だったのは、優秀な人材を確保することが難しいこの業界において、自らプロフェッショナルを育成し人材を確保できるという点でした。私が理想とした出版教育課程は、包括性と先見性を備え、業界の専門家たちが指導者となり、最終的には卒業生たちを出版業界に招き入れられるというものです。これはあくまで理想であり、現状ではまだ、すべてを実現するには至っていません。私が編集を手がけた書籍「Publishers on Publishing: Inside India’s Book Business」は、出版業界内外の65名の専門家の協力を経て完成したものですが、このような教育課程向けの専門的コンテンツの充実を図るためのアプローチの1つです。
世界の学術出版界において、最大の発展はどのようなものだとお考えですか?
テクノロジーは学術出版を変え、今も変え続けています。テクノロジーはユーザーをプロセスの最前線に据え、付加価値を持たせ続ける機会を与えています。テクノロジーの進化によって、まずは書籍の生産が効率化・柔軟化し、コストの削減につながりました。次に、オンラインストアの登場によって流通面での変化がありました。そして、新たなデジタルツールやプラットフォームの登場によって、読者が情報にアクセスする手段が変わっただけでなく、出版プロセスそのものにも変化がありました。出版のシステムやプロセスは、さらなる機能性と柔軟性を増しながら進化を続けており、ユーザーに寄り添ったものに変わってきています。コンテンツとプラットフォームの境界がなくなりつつある現在では、サービス面での変化も見られます。フォーマットの多様化、継続的な学習をサポートするコンテンツの細分化、機械翻訳、テスティング・アプリケーション、音声、動画など、私たちは数多くのダイナミックな変化を目の当たりにしています。そして、変化が起きている現場は、西洋の成熟した市場から、中国やインドをはじめとするこちら側の世界に一斉に移行しています。それに伴い、長きにわたって守られていた慣習の一部に変化が見られます。コンテンツ、データ、そして地理が、学術出版の世界を変貌させているのです。
ダイナミックに変動する今日の学術出版界で、図書館はどのような役割を果たしているとお考えですか?
図書館は単なる情報の格納施設から、交流の場へと変化しつつあります。単なる読書部屋としてではなく、ダイナミックなツールもしくは教育のハブとして機能させることができるはずです。インドの図書館は、学術誌や書籍、その他のメディアを通して研究者が世界の研究情報にアクセスできるパイプ役を担っています。
効果的に使えば、図書館は研究者にとって、同僚や上級研究者や出版社と交流するための強力なバーチャル空間になります。オープンアクセスやオープン・スカラシップ化が進んだ世界においても、図書館は質の高い情報を提供するだけでなく、出版や研究発信のためのトレーニングやサポートを提供することができます。これは、すべての研究者にとって欠かせないものでしょう。
近年、学術出版社の役割はどのように進化していますか?また、著者と出版社の関係にはどのような変化が見られますか?
出版社の役割は、著者が書いた原稿を形にする生産者の役割から、情報を整理するだけでなく(各種フォーマットの)書籍や論文の構成・展開、さらにはターゲットとする読者への発信やアクセシビリティを確保するサービスの進行役に変わってきています。この流れは、従来の学術出版の「供給者側の押し付け」といった考え方とはまったく異なる、需要主導型のコンテンツキュレーションのシステムへとフィードバックされます。
論文や書籍(または価値)を共に作り上げる作業から生まれる著者と出版社の絆には、時間を越えた普遍的な「何か」が確実に存在します。現在はこの貴重な関係性を、書籍や論文出版を超越したサービスによって育まなければならないので、読者と著者の利益のために、両者をつなぐデジタルフットプリントが必要でしょう。
書籍「Publishers on Publishing」に、「出版社には、利益を優先して著者や読者を食い物にする組織というイメージが浸透している」と書かれています。このイメージに対して、どう反論しますか?
情報が溢れて自己出版が現実的で手軽な選択肢になっている現代では、出版社が提供している付加価値は必ずしも理解されていません。出版社である我々自身がその価値を伝えきれているとは言えないので、責任の一端は出版社にあります。インドではその傾向が顕著なので、今回の本は、そのギャップを埋めるプロセスの一環でもあります。
質の高い研究成果物を整理・構成・展開する出版社の役割の重要性は、かつてないほど高まっています。研究を必要とする人々に向けて発信を増やし、研究者コミュニティとの接点を作るという作業は、とくにデジタル情報が溢れる現代では、出版社が効果的に果たさなければならない重要な役割になっています。
重要なことは、出版社の役割を明確にすることでしょう。その役割とは、個人の成長や社会の発展に向けた質の高いアウトプットを提供し続けることによって創造性を促すことをはじめ、品質と信頼性の高いコンテンツ基準を設定し、研究を展開し、著者と消費者のニーズをサポートすることなどです。言い換えれば、教育や社会の流動性、全般的な発展や幸福に、出版および出版社が与えている価値を強化する必要があるということです。
ご自身の経験から、現在の出版社が直面している最大の困難は何だと感じていますか?
広い意味で言えば、テクノロジーの進化のスピードや、変化し続けるユーザーのニーズについていくこと(先導すること)、過剰な研究成果物に対応することです。突き詰めれば、生み出された知識や出版された論文が、その価値を失うことなく価値を持ち続けられるようにすることだと思います。このような状況の中では、自分たちの強みを見失いがちですが、理念ではなく利益を求めてテクノロジーに溺れてしまえば、大きな代償を払うことになるでしょう。
インドでは、セグメント化された価格志向型の市場と、学術的な質やクリエイティビティが著作権保護によって例外なく報われるわけではないシステムによって、当然ながら状況は込み入っています。
著作権やクリエイティビティが世界中で軽んじられるようになってきていますが、これは危険な傾向です。そして、すぐに解決できるような問題ではありません。あらゆるレベルでの支援活動と、若者やさまざまな業界の著者/クリエイターとの協力などを通して、著作権が出版の根幹にあることを世界中の人々に伝え続ける必要があるでしょう。
世界の出版界におけるインドの立ち位置を教えてください。インドが研究成果物の数を増やし、質を高めるために乗り越えなければならない課題は何ですか?
インドは世界3位の英語出版市場を持っています。印刷市場も依然として大規模かつ安定しており、高等教育システムの規模が世界4位であることを鑑みれば、将来の展望は明るいと言えるでしょう。研究成果物では、インドの年平均成長率は13.9%と、英米の4%を優に上回っており、世界2位に位置しています。したがって、インドが論文投稿数で3位、論文のアクセプト率で4位である事実は、驚くべきことではありません。とは言え、インドの研究は露出が少ないままであることも事実です。
インドが抱える課題は、具体的には著作権、より広い意味で言えば出版倫理に関する意識が欠如していることです。教育システムの中の主要な利害関係者たちにも、この傾向が見られます。著作権やクリエイティビティの保護と総合的な国の発展が、イコールでつながれていないのが現状です。出版界では、学術的質や著作権侵害、国内研究の世界への露出の少なさという意味でこの問題が表面化しており、価格志向型の市場も相まって、インドにおける出版社の運営は複雑かつ興味深いものになっています。
インドの研究者が露出を増やし、研究に最大限のインパクトをもたらすにはどうすればよいのでしょうか?
インドの高等教育・研究システムの複雑さを考えると、研究者が単独でこの問題を解決できるとは思えません。これは出版社が果たすべき役割だと思います。
テイラー・アンド・フランシスがインドに進出してから20年が経ちますが、その間に研究者コミュニティと協力関係を築くことの大切さを認識した私たちは、論文投稿支援ツール/サービスへのアクセス手段の提供、編集校正サポート、指導機会および海外研究者との交流機会の提供、出版倫理や著作権に関する意識の啓発に取り組んできました。
研究者は個人レベルでも、論文出版の助けとなる多種多様な無料リソースや教育プログラムを利用するべきです。リソースとは具体的には、助成金申請書の書き方、ターゲットジャーナルの探し方、査読プロセスや重要な倫理要件の理解度向上、国際共同研究の進め方、アブストラクトやサマリーにふさわしいキーワードの選び方、ソーシャルメディアでの動画やツイートの投稿方法などに関する情報のことで、研究の露出や被引用数を増やすためのツールのことです。これらのツールはいずれも手軽に利用することができ、執筆と出版のベストプラクティスを実行する上で非常に役立つものです。
ただし、研究者はまず、博士論文をはじめとする研究成果と、そのために自分が選んだ出版物の質の重要性を理解しなければなりません。自分が選んだ出版物が履歴書という形で永遠に跡が残ると考えれば、この重要性はよく分かるのではないでしょうか。
デヴァサール氏、貴重なお話をありがとうございました!
注記:本記事の内容はニターシャ・デヴァサール氏の見解であり、必ずしもエディテージ・インサイトおよび同氏所属先のテイラー・アンド・フランシスの見解と一致するものではありません。